旅の記録〈GOTO & NAGASAKI〉

2019.11.12 旅のこと, 日々のこと

(雑記)

足を運んだ場所、
気に留めたこと、
幸せな気持ちとか
お買いもののこと
などなど。

 

10月末に訪れた長崎と五島列島の旅のこと。

 

いつだったか、何気なく見た冊子で特集されていた五島列島。
世界遺産になって話題にもなっていたから、そのときもじんわり気になっていて。

海の青さと教会、そして勉強したはずなのにすっかり忘れている歴史のことが随分と頭から離れなかった。

 

行くことを決めたのは夏の日こと。
なかなか情報の多くないガイドブックや資料を見比べながら旅路を計画していく。

 

駆け抜ける日々を過ごした10月の終わり、まだまだ薄暗い朝に早起きをして飛行機に飛び乗った。
教会を巡る旅のスタート。

 

海に向かって立つ教会はどこか儚げで、でもどこか凛としていて。

時間は止まらずに流れていて、いまもちゃんとそこで息づいていることをこの目で確認できたことがおおきな宝物になったような気がする。

 

午後の光はステンドグラスを通してやさしく色を落としていた。

ステンドグラスの模様をとっても4枚の花びらが十字架を意味していたり、教会の装飾と意匠ひとつひとつに深い意味があって、ガイドブックを片手にとても勉強になった。

 

深い森が歴史の濃さを物語るようで、海の青が悲しみの涙のようで。

 

足を運んだなかで一番美しいと思ったのは、水辺に佇む中ノ浦教会。
椿の装飾が印象的で、椿の赤と教会の白と薄水色がとても綺麗だった。
(残念ながら風があって水鏡になった教会は見れず…)

 

朝早い時間しか足を運べなかったので外からしか見れなかったけれど、外観の美しさに感銘を受けた水ノ浦教会。
真っ白の佇まいに細やかな細工と正面からも美しく見えるステンドグラス、薄水色の差し色。

 

たまたま近くを通って立ち寄った曽根教会では、シスターがオルガンの練習中で。
ひとりでぼうっと座ってしばし聴き入っていた。
夕方の光の中、教会にはシスターとわたしだけ。静寂の中でオルガンの音に耳を傾ける贅沢な時間。

 

頭ケ島天主堂は、世界遺産に認定されただけあってどことも比べ物にならないくらい圧巻で。
ちいさな集落の真ん中にちいさな石造りの教会。ただならぬ歴史の重さを感じた。

 


祈りの時間、
静謐なひととき、
楚々とした装飾、
ステンドグラスからこぼれる光と色、
練習中のオルガンの音、
渺々として青い海、
眩く澄み渡る空、

美しさのなかにある物哀しさ、

知れば知るほど深く悲しい歴史と、今もなお美しくそこで佇み地元の人の信仰の場として息づく教会。
その場所はどこまでも穏やかで静かな、日常から離れて深呼吸するのには十分すぎる場所だった。

 

ひたすらに島中車を走らせて、それでも短い旅行期間で島々までは行ききれなくて。

どうかわたしの身近な人たちが幸せでありますように。
どうかこの世界が平和でありますように。

悲しい歴史にふれて、あらためて平和な日常に感謝したいと思った。

 

 

教会めぐりの合間のこともすこし。

透明度の高い透き通る海は、シーズンを過ぎて人影もなく。
足元に目をやるとちいさくてきれいな貝殻や珊瑚を見つけて、しばしビーチコーミング。

 

夕陽が見たくて急いで行った大瀬崎灯台。
秋の夕暮れは早く、着いた頃にはどんどん暗くなっていく。

 

今回宿泊したマルゲリータホテルも格別で。
食事も美味しくってスパも広々で大満足、ゆーっくりくつろがせていただきました。

五島から眺める星空に心を躍らせていたけれど、日中の晴れ間と裏腹に夜は雲がかかってひとつも星を見つけられず。。残念。。

でも部屋から眺めた、雲の切れ間から覗く朝陽が最高に美しかった。

 

 

そしてほんの束の間だったけれど、長崎の街もとてもたのしかったです!


(cover de joieさん、とっても素敵なお店でした!)


(大浦天主堂も素晴らしかったです)


(五島に向かうフェリーはぺがさす号)


(お土産に万月堂の桃カステラ)

 

 

旅を通してあたらしい世界に触れ、知らなかったことをたくさん吸収して、日々に追われて空っぽになりかけた自分を満たしていく。

大自然に圧倒されたり、歴史に触れて心がぎゅっとなったり、旅の間の何気ない時間に「あぁしあわせだな」と思ったり、そんな時間を大切にしたいと心から思った。

旅はわたしに必要な時間なのだと再実感。

 

長崎と五島はまた時間をつくって必ず訪れたいと思った場所。
今度は小さな島々まで巡りたいな。

 

さて、次の旅先は何処。