“好き”にふれる

2024.04.02 ALL, 日々のこと

(雑記)

足を運んだ場所、
気に留めたこと、
幸せな気持ちとか
お買いもののこと
などなど。

 

 

「白が好き」

好きを形に、3月は「白奏」という企画展を開催しました。

毎日全身真っ白コーデを考えてひとりたのしんでいたのだけれど、今思い返してみると記録に撮っておけばよかったなぁなどとちょっぴり後悔…
素材で異なる、光によって見え方の変わる、白のニュアンスが好き。

 

最近の、わたしの身近にある「白」。

ちいさなニットの手袋はあたらしいご縁。
ちいさな缶バッチは大好きな方からの思いがけないプレゼント。MILKの文字。
3月はじめの白い勿忘草の花が散ったあと、ドライになった花のかけらたち。

 


(買ったばかりのとき、うきうきしすぎて道すがら写真におさめた勿忘草)

 

 

 

「ニットが好き」

ふかふかとあたたかくて包まれると幸せな気持ちになれる。
寒い季節が好きだから、その季節に纏うものとして一層好きなのかもしれない。
なので春になるとなんだか名残惜しい気持ちになる。

 

umanohanamukeさんの投稿で知ったYUKI FUJISAWAさんのこと。
いろいろと見進めていったら、あれもこれも「知っている!」「見かけたことがある!」の多いことにびっくりした。
初めてきちんと認識したのに、記憶を辿ると以前から繋がっていて(自分の中で)、なんだか再会したような気持ち。
たまに起こる偶然のうれしい出来事。

 

記事を読んで夢中になったことをご本人に伝えられる機会があった。

言葉選びのひとつひとつが、表現のいたるところが、なんだか今の自分にしっくりきて、すーっと身体に沁み渡っていく。
気がつくと夢中で読んでいた。
ライターさんが書かれていることを知り、YUKI FUJISAWAさんをよく知ったとても良い関係の方なのだなとしみじみ思う。
自分じゃない誰かのことをこんなふうに表現をしてしっかり伝えて、そして人を引き込むことができるだなんてなかなかできることではないなぁと感動した。

それをお伝えすると、
「彼女の書く文章は誰も傷つけないんです」
という答えが返ってきて、深く深く頷いた。

 

わたしもそんなふうになりたい。

そう思って気付けたことがこの春のおおきな収穫。
記事のなかで心に留めた言葉はたくさんあるけれど、特に印象に残った部分をいくつか。

“生きているということはいつも、わたしと世界が混じり合う現象の一瞬一瞬の積み重ねだ。”
“自分はこんなものだと思い込まされず、望む幸せを手づくりしていくことを、そのための問いを、いつまでも諦めなくていいと思える世界のほうが、わたしは生きたい世界だなと思う。”

 

展示で拝見したニットは、そこかしこに旅の断片が散りばめられていてとても興味深かった。
以前に旅したバルトの国々を瞼の裏に滲ませながら、あぁこんな海の色だったなとか、混じり合う土の色とか、自然のなかに小さく紛れている思いがけない色とか光とか、旅の記憶がニットに重なる。

陶器のボタンになったumanohanamukeさんの図案もそれはもう素晴らしくて。
ボタンホールの位置や糸の掛け方まで考えてつくられた図案にはひとつひとつに物語があって、釉薬の色が変わるだけでもまたいくつもの無限の広がりゆく美しい世界があった。

 

お土産でいただいたクッキーも嬉しさひとしお。
このままどこかに閉じ込めておきたかったけれど、写真におさめて美味しいうちに頬張った。
ご馳走様です^^

 

 

 

「旅が好き」

と言ってもいつでもどこでも出かけられるわけではなく、次の旅先を決めたらそれまでは日常の中で自分の旅を見つける。

友人が写真展に誘ってくれて、尾身沙紀さんの「Wanderlust」展を観に行った。
Wanderlustとは 放浪癖・旅行熱などを意味する言葉なのだそう。
なんていい言葉!、と、友人の誘いにすかさず「行こう」と返信をして、会期終了間際の会場へ滑り込んだ。

混じり合ういろいろな国。
視界に飛び込んでくる色と光がなんとも印象的。
写真家さんの旅好きの気持ちがこちらまで伝わってくる。
なんだか自分まで旅した気分。

その日はたのしみにしていた「四月になれば彼女は」も一緒に観に行って、その世界と音楽に浸った。
昨年の旅で訪れたアイスランドのブラックサンドビーチ。その場所が映った瞬間はなぜか涙が溢れた。
何年も前に旅したチェコも、いつか行ってみたいウユニも、その美しさは息を呑むようで。
観終わったあとはなんだか感無量。

そしてsongbookで夜ごはん。
薪火のフレンチもまた異国感。

一日でいろんな国を旅したような気持ちで大満足。
mちゃん、ありがとう。

 

 

 

いろいろと日々に追われてしまうと見失いがちになってしまう、好きなもの。好きという気持ち。
今ようやくその部分を振り返ったり、触れたり、愛でたりして、やっと自分に還ってきたような感覚になっている。